刀剣乱舞に登場する御手杵を結城美術館で「槍に触れて記念撮影」

地域
広告

「御手杵の槍」(槍レプリカ)を常設展示する結城市の結城美術館が、【結城蔵美館1周年記念イベント】として「御手杵の槍」特別展示を、5月23日(土)に1日だけ開催されました。
抽選で当たった250組のグループが「槍に触れて記念撮影」できるのが、イベントの目玉です。

刀剣乱舞-ONLINE-(名だたる名刀が戦士の姿となって戦う刀剣育成シミュレーションゲーム)に登場する御手杵(おてぎね)は、実在した槍で、室町時代に下総国結城の大名・結城晴朝が、駿河国嶋田の刀工、五条義助に作らせました。

切先から石突までの全長が約3.8m。穂(刃長)138cmで、茎(なかご・刃の根元で柄の中に刺さっている)まであわせると全長215cm。穂先の断面は正三角形。

Otegine spear edge with scabbard

名前の由来は、穂を収める鞘(さや)の拵(こしらえ)が片手つきの杵の形をしていることから「御手杵の槍」と呼ばれました。
その用途は、戦場で大将が詰める陣所を示す馬標(うまじるし)ではないかと考えられています。

「御手杵の槍」は、結城晴朝の養嗣子・結城秀康(実父・徳川家康)に伝わり、その後、秀康の五男で結城氏の名跡を継いだ直基の子孫松平大和守家(前橋・川越松平家)に受け継れました。

時代が明治に変わってからは、松平伯爵家の家宝として代々受け継がれてきましたきましたが、昭和20年(1945年)の東京大空襲によって、東京大久保にあった松平邸の所蔵庫が焼夷弾の直撃を受け、ただの鉄の塊になってしまいました。

平成になって「御手杵の槍 復元委員会」が静岡県島田市で組織され、消失以前の写真をもとに半年がかりで、復元が図られました。

復元された「御手杵の槍」は、静岡県島田市で一般公開された後、室町時代17代当主、結城晴朝公ゆかりの茨城県結城市に寄贈されました。

寄贈された「御手杵の槍」は、結城美術館で常設展示されています。

刀剣乱舞-ONLINE-をきっかけに、大勢の人が結城市に足を運ぶようになれば、「御手杵の槍」も復元された甲斐があるというものですね。